鹿児島話‐おわり。
帰省の話は今日でおしまいです。
入院中の弟はご飯が食べられるようになって、車いすから杖でスタスタ歩けるようになっていました。
7万円の蒼くて軽いカッコいい杖。なんだか、いらなそうな軽い足取りで安心しました。
喉の手術をして、食事が出来るようになっても、声が出にくくなることもあると聞いてましたが、普通におしゃべり出来たので、そういう後遺症は幸いにも出なかったのかもしれません。
8月末に試験外泊をして、9月中には退院となるようです。
そこで、問題が。
我が実家は、祖母も一緒に住んでましたが、弟が倒れてからそれを追うようにして
ひどい頭痛で救急車で運ばれ、そのまま入院になっており、普段のモノに加えて入院道具も結構、いっぱい。
妹も実家に一緒に住んでいました。
で、最近、引っ越したそうですが、まだ荷物がたんまり☆
弟クン、アパートに一人暮らしでした。
入院してから、すぐにアパートを引き払い。
荷物は実家へ…本人が確認しないと~と、いうことで、どうみてもゴミ。
というものも捨てられずに、おいてあります。
我が実家がどんなに豪邸でも、この荷物の多さはあんまり~☆
弟クン、帰ってきても動くのに不自由では、危ないし自立できない。
と、いうことで
汚部屋やお片づけブログができるんじゃない?っていうくらいの、片づけをしました。
だれが悪いわけでもなく、収集がつかないままの荷物。と、いうのは
気が滅入ります。
母は2つの病院を行ったり来たりですでに疲れきって、加えて持病持ちですし
妹もそのサポートと仕事で手いっぱい。
父は片付けられない。(そのままにしといてやるのが愛情だろう。という考え)
この3人では、なかなか上手くいかなかったようです。
まぁ、外野の私が勝手にしたことと思えば、腹が立ってもその時にはもういない。
ということでしょうか?
誰も手がつけられなかった、ゾーンに切りこんできました。
長年、気になっていたモノもどさくさに紛れて片付けられて、スッキリしました。
ひと部屋は空いたので、弟が帰ってくる頃にはどうにかなるでしょう。
そうして、鹿児島を後にしたのでした~♪
帰ってきて初めに目についた、水槽は…
インジカさんが緑がかってました~レースのカーテンだけ閉めていったので
そこそこ明るいはずでしたが、水草が色づいたままというのは、難しかったか?
が、照明をつけてCO2をいつもの通り、添加しはじめたら…
あっという間に、緑のところはピンクに元通り~
必要なのはCO2なのかな~?
え?実家に私の荷物はあったのかって?
いや~それが、私の荷物はもうないのよ~
母が記念に残してある、子どもの頃から成人式までの写真と高校の制服。学生の頃の教科書。くらいじゃないかな~?
え?結構、多いって?(笑)
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